野田市さんぽ「清水公園周辺・金乗院から真光寺」

野田市さんぽ「清水公園周辺・金乗院から真光寺」

○「かごめの唄の碑」(清水公園駅前)

東武野田線清水公園駅の前に「かごめの唄の碑」が建立されています。

 ♪籠目 籠目 かごの中の鳥は いついつ出やる

  夜明けの晩に 鶴と亀とすべつた 後の正面誰れ♪

清水公園へと向かう道の、ちょうど入口に2体の石像が置かれていて、「まちづくりの門」を形作っていますが、ここの北側の像が「かごめかごめ」の像なのです。像は目隠しをしてしゃがみ込む子供の姿をしていて、台座には歌詞と「かごめかごめの歌は野田から全国へと広まったといわれています」という解説が刻まれています。「かごめかごめ」(籠目籠目)は、こどもの遊びの一つ、またはその時に歌う歌です。「細取・小間取(こまどり)」「子捕り・子取り(こどり)」「子をとろ子とろ」ともいいます。

【かごめ唄野田発祥説】

今日よく歌われている上記の歌は、野田市の中央小学校教諭・山中直治が「かごめかごめ」の歌を採譜したので、野田市が発祥だといわれています。

【童謡作曲家・山中直治】

野田市の中央小学校で教鞭をふるった童謡作曲家・山中直治は、童謡「かごめかごめ」を採譜して全国に広めた人物です。昭和12年、31歳という短い生涯の中で200曲以上の曲を残しました。直筆の楽譜などの関係資料は、野田市郷土資料館(野田370)に保管されています。

【かごめ唄の解釈】

童謡やわらべ歌には、色々なメッセージが託されています。「かごめ唄」の歌詞が表現する一風変わった(ある意味神秘的な)光景に関しては、その意味を巡って様々な解釈があります。中には、姑によって後ろから突き飛ばされ流産する妊婦、監視された環境から抜け出せない遊女、徳川埋蔵金の所在を謡ったものとする俗説などがあります。

○「野田貝塚」(清水551)

清水公園の入口に「野田貝塚」があります。縄文時代後期(約3500年前)の遺跡で、いわゆる奥東京湾の東岸に発達した支谷の奥部に形成された貝塚です。東に開口する馬蹄形をしており、南関東地方の馬蹄型貝塚として典型的なものです。

○「金乗院」(清水914)

金乗院清水公園の中にあり、清水公園も元はお寺の所有地であったそうです。応永5年(1398)頃、京都醍醐山の宥秀上人により開山されたといわれており、野田最古の寺院です。昔は、古義真言宗総本山の醍醐派に属した修行寺(学僧の研修する所)としてこの地方の加持祈祷や教学の中心でした。度重なる火災で資料なども焼失し、はっきりしたことは分かりません。なお、ご本尊は薬師如来秘仏となっています。

【算額】

金乗院に奉納された「算額」です。金乗院はもともと、この地域の修行寺として加持祈祷や数学の中心でした。算額とは、和算家が自分で作った数学の問題や解答を書いて、神社や寺院などに奉納した絵馬をいいます。この算額は、市内に現存する唯一のもので、安政6年(1859)に奉納され、奉納者は清水の渡辺元五郎忠次ほか6名です。縦60?、横93?の杉の一枚板に枠をつけたもので、3問の問題とその回答、作図などが描かれています。

【仁王門】

金乗院の入り口にある立派な山門(仁王門)は、なかなか風格のある威容で約300年前に作られ、寛政年間(1789〜1800年)に再建されたものだといいます。その時、大工の棟梁に反感を持った者が、夜の間に柱1本を寸足らずにして困らせようとしましたが、事前に分かり、あらかじめそれに合う台石を用意して難を逃れたといいます。現在でも、正面から向かって右側に台石が残っています。平成10年に全面修復され、建立当時の雰囲気を再現した鮮やかな朱色に塗られています。

【劫初の桜】

本堂右手に「劫初(ごうしょ)の桜」という樹齢約140年の桜があり、花期には美しく咲き誇ります。近年、うろの中から若い幹根が生じたことから、この名前がつけられたといいます。清水公園の桜の中でも一番早く開花する桜です。

サルスベリ

本堂の前には、サルスベリ百日紅・猿滑)の巨木が数本あります。夏から秋にかけて、鮮やかな赤紫色やまぶしい白色の花を咲かせ続け目を楽しませてくれます。

○「清水公園」(清水906)

清水公園は、明治27年に開園した民間の公園です。茂木柏衛翁が建設しましたが、現在は1千秋社という会社が管理・運営しています。当初は「聚楽園(しゅうらくえん)」という名前がつけられていました。約28万?の園内は、桜、梅、つつじ、アジサイ、椿など多くの樹木があります。公園自体は入園無料ですが、フラワーパークやアスレチック、巨大迷路(アクアドベンチャー)は有料です。園内のフィールドアスレチックは、水上コースなど3つのコースが揃っており、大人から子供まで十分楽しめます。公園内にはポニー牧場もあり、マス釣りやバーベキューもできます。

清水公園の桜】

清水公園の桜が満開となった時期には、多くの花見客でにぎわいます。

聚楽館】

梅園の中に聚楽館(しゅうらくかん)があります。大正時代に建てられたもので、当時はこの地域を代表する茂木家(キッコーマン創業一族)の迎賓館として使われました。

○「旧花井家住宅」(清水958)

清水公園の南に「旧花井家住宅」があります。流山市前ヶ崎から昭和46年12月この地に移築したもので、延宝年間(1673〜81年)ごろの建立と推定されています。藁葺屋根や外部板目、しし窓など、規模は正面8間・側面4間半で中心に「ひろま」を、その奥に「へや」を配しています。無料。

【薬医門】

入口にある「薬医門」は、市内の民家から移築されたもので 、特色は屋根で大きく両方に流れ、どっしりとして軒端は厚く、江戸の名工・左甚五郎一夜造りの門と伝えられています。

○「堤台八幡神社」(堤台515)

清水公園の南方に「堤台八幡神社」があります。神社明細帳によれば、創立不詳ですが古老の口伝によれば、岡部美濃守藤原宣勝(のぶかつ)という者が堤台城内に八幡山報恩寺を建て、五石の社領を当社に寄付し別当としたといいます。しかし、堤台城と藤原宣勝との時代が70年もずれていて、その真偽は判っていません。

庚申塔群】

鳥居の右側に庚申塔が並んでいます。

【堤台城跡】

堤台八幡神社付近に「堤台城跡」があります。老人ホームになっているあたりらしいのですが、改変が激しく遺構もなく旧状は不明です。天正19年(1591)下総国葛飾郡山崎(現野田市山崎)に入部した岡部長盛が領内である堤台に築城(廃城を修復)し、慶長14年(1609)に丹波国亀山(現京都府亀岡市)に移るまでの19年間を過ごしたといわれています。『稿本千葉県誌』によれば、「堤臺城址=野田町大字堤臺字寺山にあり、報恩寺の地即ち是なり」とありますが、『野田町誌』によると、『稿本千葉県誌』で書かれている報恩寺は「東寺山」にあったとされていて、文献に食い違いがみられます。このように、堤台城に関してはいくつかの文献等はあるものの、場所や規模を決定づける証拠や痕跡を示す遺跡が発見されていないために、はっきりとしたことはまだ分かっていません。

○「延命地蔵堂」(堤台261)

堤台八幡神社の南西、バス道路を横切って行くと「延命地蔵堂」があります。堂内には応永2年(1395)5月の年号が彫られた地蔵菩薩が安置されており、子育て地蔵尊ともいわれ、2月24日と8月24日に開帳されるといいます。

【間引き絵馬】

間引き絵馬がつくられた背景には、江戸時代の度重なる飢饉や凶作による貧困があると考えられます。当時広く行われていた間引きの風習によって人口が減少したため、民衆を教化する策として間引きを戒める絵馬や絵図などがつくられました。幅136?、高さ77?の額に、間引きを戒める文章と、産まれたばかりのわが子を手にかける産婦と地蔵菩薩が子どもを天界へと導く様子が描かれており、銘には「文久3年(1863)愛山」とあります。作者の小林愛山は現在の野田下町付近で愛山塾という私塾を開いていたとされ、上花輪の長命寺には寺子によって建てられた墓があります。間引き絵馬は県内でも数点という稀少さとともに、描かれている図柄も当時の出産習俗を細かく表現していて、民俗学的な価値も高く貴重な資料といえます。

【疣とり地蔵】

地蔵堂の左手に「疣(いぼ)とり地蔵」があります。堤台にあった報恩寺の住職が安永8年(1779)に建立したもので、「この像を撫(な)でれば疣が取り除かれる」と言い伝えられています。イボが取れたお礼として砂糖をあげるのが習慣となり、地蔵の口の周りがいつも砂糖で黒くなっています。塩を奉納するケースは多いのですが砂糖は珍しいです。

○「岩名古墳」(岩名326)

江戸川沿いの道に出て北に向かうと、座生川排水機場の南に「岩名の洞窟」と呼ばれて親しまれてきた「岩名古墳」があります。この地域を納めていた豪族の墓で、古墳時代後期(6世紀末〜7世紀初頭)のころに造られたと考えられています。享保2年(1802)地元の人がここで大杉の倒れた根元に大きな穴を発見し、中に人骨や石碑があったので、泉州御嶽を勧請して蔵王権現としました。直径18m、高さ1.6mの円墳で、裾に幅1.8m、深さ60?mの溝があることがわかっています。また、関東では少ない横穴式石室と呼ばれる棺を納める部屋が残っており、砂岩と呼ばれる柔らかい石をドーム状に積めあげられた珍しいものです。古墳に至る入り口は、座生川排水機場南側の台地にあります。発掘調査により、刀や鉄製の鏃(やじり)の破片が見つかっています。

○「八大龍王塔」(岩名269)

再び江戸川沿いの道路を少し北に向かうと、右手の座生川排水機場の入口に「八大龍王」の文字塔があります。八大龍王とは仏法を守る八体の竜神で、難陀・跋難陀・娑迦羅・和修吉(わしゆきつ)・徳叉迦阿那婆達多摩那斯優鉢羅のことです。雨や水に関係するとされることが多いです。

○「一石六地蔵塔(地蔵会館)」(岩名617)

八大龍王塔から北の道を行くと、地蔵会館の左手に「一石六地蔵塔」があります。四面の内、裏面のほかの三面に二体ずつの地蔵が刻まれている珍しいものです。

○「馬頭観音塔(梨の木会館)」(岩名1256)

さらに北に向かうと丁字路となり、梨の木会館(岩名二区自治会館)の東側の覆屋に、地蔵尊二体と石仏(庚申塔)があります。また、道路反対側に明和4年(1767)銘の馬頭観音塔があり、道標を兼ねており「南 江戸道 北 中里道」とあります。

○「岩名香取大神社」(岩名1085)

北東に向かうと正面に鳥居が見えてきて、バス道路を横切って行くと、真光寺の西隣に「岩名香取大神社」があります。創建は慶長19年(1614)。本殿の裏手に富士塚があります。平成25年の竜巻で、灯籠と数本の木が倒れて損傷していましたが本殿の被害はありませんでした。

庚申塔群】

鳥居の左側に文字庚申塔が6基並んでいます。

○「真光寺」(岩名1084)

岩名香取大神社の東隣りに「真光寺」があります。応仁2年(1468)法印憲心によって開山された古刹です。本尊は十一面観音菩薩、脇本尊は不動明王。享保2年(1723)に描かれた「十王像地獄絵図」は毎年お盆に、同年制作の「釈迦涅槃図」は2月15日に一般公開しています。2013年9月の突風で本堂の屋根が吹き飛ばされました。

庚申塔群】

真光寺入口に「庚申塔群」があります。左から文政6年(1823)銘の庚申塔、享保3年(1718)銘の庚申塔、文政9年(1826)、明和元年(1764)、天明元年(1781)、文化7年(1810)、天保6年(1835)それぞれの銘のある庚申塔が並んでいます。

【道しるべ庚申塔

真光寺門内に文政元年(1818)銘の文字青面金剛庚申塔があり、道標を兼ねており「北 なかざと(中里) 南 わたしば(渡し場)」とあります。

【ギャラリー真光】

平成15年7月に開設。これまでの書画、能面、古布などを使った押絵などの展示を行っています。ギャラリー内からは竹林の庭園が望めます。入館無料。事前予約必要。

○「野田市総合公園」(清水958)

清水公園に隣接し、約18haの敷地にスポーツ施設と子どもたちが遊べる施設を併設した総合施設です。体育館、クライミングウォール、野球場、陸上競技場、水泳場などの施設があるスポーツ公園です。他にも、サイクリング周回コース、子供冒険の森があります。入園無料、有料施設あり。

【水生植物園】

菖蒲の品種50種類、約2万株が植えられています。6月中旬〜下旬が見頃です。

○「吉春香取大神社」(吉春853)

流山街道に戻り北に向かうと、北部小学校の東方の左手道路沿いに「吉春香取大神社」があります。創建は江戸初期の元和10年(1625)の創建で、「鎮守のかとりさま」と呼ばれています。社務所があり宮司が常駐しています

庚申塔群】

社務所の南側に、庚申塔青面金剛・石柱などの「庚申塔群」があります。左から、安永2年(1773)、文政11年(1828)、寛政11年(1799)、元禄15年(1702)、明和4年(1767)、宝暦11年(1761)、寛政元年(1789)、文政3年(1820)、天保11年(1840)それぞれの銘のある庚申塔が並んでいます。

○「菅原神社」(吉春870)

なおも流山街道を北に向かうと、鎌田バス停の少し手前の右手道路沿いに「菅原神社」があります。

【吉春学校発祥之地碑と庚申供養塔】

鳥居の左手に、左に明治6年創立で「吉春学校発祥之地」の碑と、右に寛政12年(1800)銘の「庚申供養塔」が並んであります。